『癒し』

 

 

最近起きたことですが・・・朝、目覚めたら右足の親指にズキンとするものを感じました。起き上がって見てみたら、親指の周囲に“ひょうそう”ができていました。周囲が全体に膨らんでいて、真っ赤に腫れ上がっていました。前日、寝る前まではなんとも無かったのに「ん?おかしいなぁ、寝ている間に何があったのだろう?」と不思議に思いました。

 

 

 

そして時間を経るにつれて、痛みはさらに増してきました。歩行も困難なほどの痛みでした。以前も、何度か“ひょうそう”ができたことはありましたが、それは何らかの原因があって、しかも今回のように、指で触れてもいないのに痛むということはありませんでした。まして歩くのが大変と思うことも、ほぼありませんでした。「どうしよう?」とふと、不安がよぎりました。なぜかと言うと、二日後に少し遠くへ出掛ける予定があったのでこのままだと厳しいと考えて、なんとか手立てをと、しばらく祈りました。もし、午前中に痛みが治まらなかったら薬局で薬を購入しようと思いました。そしてあっと言う間に午前は過ぎました。が、一向に良くなる様子がなかったので、薬局に行ってみました。薬剤師の方に症状を話したら、抗生物質の塗り薬を奨められました。「まぁ、応急処置程度ですけどね。もし、良くならなかったら病院へ行ったほうがいいですよ」とアドバイスをいただき、その薬を購入しました。そして祈りながら早速、薬を塗ってみました。すると、一時間もしないうちに痛みが引いてきました。見た目に変化はなく、相変わらず親指の周辺は全体に赤く腫れていましたが、嘘のように痛みが軽減されました。そしてその日、もう一度塗ってみたら、翌日には完全に痛みが引いていました。最悪の状態も考えていたので、ちょっとびっくりでした。でも、その時には「あぁ、神さまが癒してくださったのだ」と思って感謝を捧げました。

 

 

 

“ひょうそう”は癒されて完治したのですが・・・しかし、それから約一週間後、今度は突然歯が痛み出しました。左の下の奥歯の詰め物をしているところがズキンと痛みました。その前日、歯の定期健診に行ったばかりだったので、しかも「特に問題はありません」とのことでしたので少し驚きました。これも今まで全く経験したことがありませんでした。「虫歯かな?それとも知覚過敏かな?また、歯医者に行くべきなのかなぁ・・・」と頭の中で若干思い巡らしたのですが、ほどなくしてお祈りに導かれました。そして何分か祈ったあと、こんな思いが心にきました。「もし、一週間様子を見て、それでも痛みが治まらないようだったら、歯医者で診てもらおう」と。夜になっても痛みは続いていましたが、神さまに委ねて就寝しました。すると・・・翌朝目を覚ますと、なんと痛みがきれいに無くなっていたのです。びっくりでした。ハレルヤ!主の癒しの御わざをほめたたえます!感謝します!

 

 

 

さて、“ひょうそう”のことも“歯”のことも、いずれも癒されて感謝なのですが、私なりに神さまがこんなことを語っているかなぁと思ったことについて述べたいと思います。100%当たっているかは分かりませんが・・・今回の体調不良の一件を通して神さまは、私が本当に神さまを頼るのかどうかということをご覧になりたかったのでは?と思いました。

 

 

 

じつは“ひょうそう”が癒されたあと、私の心の内側に「後悔」の思いがありました。薬局に行ったり、薬を使用したことについて神さまが咎めている感じはしなかったのですが、ただ、“歯”の時のように、もう少し待つ期間があっても良かったのでは?と思いました。お祈りはしたものの、様子を見る時間があまりにも短かったのでは?と、少し反省しました。たしかに“ひょうそう”に関しては切羽詰っていたことなので一週間というわけにはいかなくても、しかしせめて翌日の午前中くらいにしておけば良かったと思いました。なので“歯”が痛くなったときに、少し長めに様子を見てみようという思いになりました。そして結果はどうだったか?と言うと、神さまのわざを見ることができたのです。何か異変が起きると、はたまた切羽詰った状況だったりするときに、人間の本能として「すぐになんとかしなくちゃ!」なんて思いに、えてしてなりやすいのですが、若干の忍耐を働かせることがいかに大事であるか?についての教訓を学ばせていただいたように思いました。

 

 

 

そして私事ではありますが、ここ最近聖書を通して感じることがあります。それは、神さまはトラブルを通してみわざをあらわしてくださるお方だということです。世の中において、あるいは私生活において、トラブルなんてないほうが良いのですが、聖書の常識や神さまの方法と私たちの常識や思いや判断は全く違うのだということを教えていただいています。そして何が起きたとしても、どんな状況に置かれたとしても、はたまたそれが人間的には理不尽だと思うことであっても、神さまに頼っていくのが一番!だということに益々確信を持って歩んでいきたいと思いました。

 

 

 

最後にそのことを奨励している賛美歌がありますので、一部歌詞を紹介して証を終わりにしたいと思います。

 

 

 

.主にすがるわれに、悩みは無し

 

十字架のみもとに、荷をおろせば

 

 

 

※歌いつつ歩まん、ハレルヤ!ハレルヤ!

 

歌いつつ歩まん、この世の旅路を

 

 

 

.恐れは変わりて、祈りとなり

 

嘆きは変わりて、歌となりぬ

 

 

 

※リピート