No.5 「救われるために」

 

 

 

◇◇天国への切符を手に入れるためにはどうすればいいの?◇◇

 

 

 

前回は、なぜ「救い」が必要なのか?について学びました。もう、お分かりだと思いますが、少しおさらいをしたいと思います。

 

 

 

もし、私たちが神さま(イエスさま)の「救い」を受け入れていないというときに、死後、さばかれてしまい、永遠の刑罰に入れられてしまいます。つまり天国に入れてもらえずに、自動的と言ってはなんですが、地獄へと連れて行かれてしまうのです。いわばディズニーランドに行くのにチケットを持っていないために入園できないようなものです。消極的に聞こえるかも知れませんが、「火の池(地獄)」の刑罰から逃れるために、救われなければいけないのです。さらに言い方を変えるなら、「天国」に招かれる条件として、まずは「救い」を受ける必要があるのです。それで今回は「救われるにはどうすれば良いか?」について話したいと思います。

 

 

 

クリスチャンになる前に、多くの人は「救い」に関してハードルが高いというイメージをお持ちかも知れません。著者も過去、そんな風に思っていたひとりです。教会に行かないとダメ?あるいは人前での懺悔(ざんげ)が必要?もしくは良い行いによるの?等々と思い巡らす人もいるのでは?と思います。でも、そんなことは全くないのです。「救い」について聖書のことばはどのように語っているでしょうか?早速、見てみましょう。

 

 

 

〔聖書箇所〕ローマ人への手紙10:9,10

 

10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

 

10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

 

 

 

9節に書かれているように、「あなたの口でイエスを主と告白」することです。そして「心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださった」ことを信じることです。その二点を実行するのなら、「救われる」のです。どうでしょうか?とっても簡単なことですよね。何も膝で巡礼をしたり、牧師や神父の前で罪を告白したり、はたまた慈善事業を行うなんていう必要もないことがお分かりになりますよねっ!この二点を、何の躊躇もなく行うだけで「救われる」のです。あまりにも単純すぎて拍子抜けするかも知れませんが、聖書に書かれていることなので間違いのない事実なんです。そして本当に実践するのでしたら、救われて、「天国への切符」を入手することができるのです。

 

 

 

ここでひとつだけ誤解のないように申し上げておきたいことがあります。救われることによって、「天国への切符」はたしかに手に入るのですが・・・かと言って、天国への切符=天国に入れる、ということではありません。こんな例が良いか分かりませんが、婚約したカップルが必ずしも結婚するとはかぎりませんよね。ある程度の交際期間を経て、「これで良し!」と双方が納得したときにはじめて「結婚」が成立しますよね。イエスさまと私たちの関係もそれと同じで、救われたらたしかにイエスさまとの交際はスタートするのですが、いくら私たちがOKであってもイエスさまが納得されない場合に、要は私たちの歩みがイエスさまに受け入れられない場合に、天国に入れないなんていう可能性があることはひとこと申し上げておきますね。その件に関しては、これから別途順をおって少しずつ話をしていきたいと思いますが・・・そんなことを言うと、「ええっ??そうしたら、『救い』を受けていない人と、あまり差がないではないか?!だったら救われなくったっていい!」と、思われる方もいるでしょう。いいえ、そうではありませんよ。「救い」を受けているなら、はじめから「救い」を拒否している人とは違って、ダイレクトに「火の池(地獄)」に入ることはない、ということです。「救い」を拒否する人は、死後、容赦なく永遠の刑罰に入ってしまうのですが、「救い」を受けているなら、「天国」に入ることを目指す特権が与えられるのです。これはえらい違いですよね。なので、もし、まだ「救い」を受けていないのでしたら、ただちに「救い」を受けていきましょう。そして「天国」を目指して歩んでいきたいと思います。

 

 

 

繰り返しますが、キリストの「救い」を受けることが「天国」に入るための第一歩であり必須条件でありますので・・・そしていかんせんこのことを抜きに「天国」に入ることはありませんので・・・つまりとても大事なことですので、ローマ人への手紙に書かれているように告白して、一日も早くイエスさまの「救い」をお受けしていきたいと思います。