No.17 少しずつ価値観を変えていく

 

 

 

◇◇聖書の価値観に、徐々に近づいていこう!◇◇

 

 

 

〔聖書箇所〕マタイの福音書16:26

 

16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

 

 

 

クリスチャンになったと言っても、私たちはこの地上にて、そして多くの神さまを知らない人たちの中で生活をしたり、歩みをしたりしています。そうすると、どうしてもこの世のことに影響を受けやすくなります。それは当然だと思います。クリスチャンばかりの集まりの中だけで生活をするわけではないからです。

 

 

 

さぁ、しかし、そうではあっても、ここで少し視点を変えてみましょう。そもそも私たちがなぜ、クリスチャンになったのか?について考えてみましょう。その大きな目的は他でもない、「永遠の命」をゲットするためですよね?もちろん今まではひとりで生きていたけれど、これからは神さま(イエスさま)と共に生きていくというのも大事なことですが、でも、一番大きなことは、それまでは確実に永遠の滅び(火の池)へとまっしぐらだった歩みが「天国」というゴールを目指して歩みだしたことですよねっ??これって、とても大きなことなんです。そしてもし、本当に「天国」に入りたいのなら、少しずつ私たちの「マインド」を変えていくように努めていきましょう!それこそ冒頭のみことばではありませんが、この世でいくら成功したとしても、良い思いをしたとしても、「まこと(永遠の)いのち」をゲットできなかったら、何のためのクリスチャン生活だったのか?なんていうことになりかねないのです。クリスチャンになったばかりだと、あまりピンと来ないかも知れませんが、「まこと(永遠の)いのち」というのは、私たちが思っている以上に、非常に尊いものなのです。なので、そのあたりのことに関して見誤ってしまうことのないように気を付けていきたいと思います。

 

 

 

それでですね、本日ぜひ、おすすめしたいことがあります。はじめに書いたように、たしかに私たちはこの世の中で生活する者ではありますが・・・しかし、この世の中とは、少しずつでもある程度、一線を画していきましょう。じつはこの世の価値観に引っ張られていくときに、「天国」から遠く離れてしまうのです。人間的にはこの世のこともうまくやって、後の世で永遠の命をゲット!と思いたいところなのですが、聖書をよく読むと、どうも「この世」のことと「天国」とは両立しないようなのです。下記聖書のことばが、そのことを言っていると思います。

 

 

 

〔聖書箇所〕マタイの福音書16:26

 

2:15 世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。

 

2:16 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。

 

2:17 世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。

 

 

 

15節の下線の部分を見てください。「世も、世にあるものも、愛してはいけません」とあります。「この世で生活しているんだから、仕方がないじゃない?愛して当然でしょう??」と言う方もいるでしょう。たしかに理屈はそうなのですが、しかし17節に書かれているように、いずれ「世と世の欲は滅びる」のです。しかも16節にあるように、この世のものは、御父(天の父なる神さま)からの出たものではなくて、この世から出たものなのです。「この世から出た」と聞いて、すぐにピンと来るかどうかは分かりませんが、神さまから出たものでない、という風に考えていくと、神さまに敵対する存在、悪霊とか悪魔、すなわちサタンから出たものだと理解できるのではないでしょうか?言うまでもなく、クリスチャンは神さま(イエスさま)に属する者ですが、しかし、もし、この世のものを愛するなら、サタン(悪霊、悪魔)に属する者となってしまうのです。そうすると、どうでしょうか?サタン(悪霊、悪魔)は後の世、すなわち天国には入らないのですが、そのままだと一緒に滅んでしまうでしょう。もちろんクリスチャンとはいえ、この世で生活していますので、最低限必要なものは用います。衣食住、交通機関、その他必需品等です。ですから言わんとしていることは、こういうことではないか?と思います。御父(天の父なる神さま)よりも、この世のものに執着するときに、神さま(イエスさま)から離れてしまうよ、だから気を付けなさい!ということだと思います。「この世」のものとは、ここに書かれているように、暮らしの向きの自慢をはじめとする、ありとあらゆるものだと思いますが、単に物理的な面のみを言っているのではなく、地位や名誉、あるいは人からの賞賛等も含まれるのではないか?と思います。そういうものを必要以上に愛してしまうことにポイントはないよ!ということです。簡単に言えば、「神さま(イエスさま)を一番とする歩みをしていきましょう!!」と、そういう価値観に変えられていきましょう!そうするなら、得るべき永遠の命を得ていきますよ!!というのが、本日の教えです。

 

 

 

再び冒頭の聖書のことばに戻りますが・・・それこそいくらこの世で良いものを得たとしても・・・いえいえ全世界のものを得たとしても、しかし「まことのいのち(永遠の命)」損ねてしまったら、何の得もありませんし、しかも「そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう」とあるように、やり直しが二度ときかないので、神さま(イエスさま)を第一とする歩み、すなわち聖書に視点を置いた歩みをしていきたいと思います。さらに繰り返して言うなら、「世の中のもの」は、どれもこれも神さま(イエスさま)の栄光を隠すものなので・・・もし、「これによって神さまの栄光があらわれない!まさにこれが神さまの栄光をいつまでも隠している!」思うものがありましたら、お祈りによって、聖霊の力によって少しずつでも、取り去っていきたいと思います。しばらく時間はかかるかもしれませんが、忍耐や根気を持って求めていくなら、徐々に実現していきます。また、聖書の通読にも益々励んでいきましょう。こういうことに関して、志が与えられたり、御心を感じましたら、ぜひ実践してみてください。